






歴史
市名の由来は
日本武尊伝説によるものとされている。嵐を静める為に海に投身した
弟橘姫の袖が海岸に流れ着いたことに由来する(布流津)。この布流津(ふるつ)が転じて富津になったとされている。
※袖が流れ着いた地名は袖ヶ浦。布流津の布は
弟橘姫の腰巻が小糸川の飯野の地に流れ着いた事に由来する。
市域には
縄文時代・
弥生時代からの遺跡が数多く分布する。房総半島では
古墳時代を通じて
古墳が数多く分布しているが、市域では5世紀中頃の
内裏塚古墳を頂点とする
内裏塚古墳群の存在があり、
埴輪や
金銅製品などの副葬品が出土している。また、古墳後期の
横穴式石室を持つ後期古墳も分布する。
律令制下では
上総国天羽郡全域・
周淮郡の一部に属する。
平安時代後期には、
治承・寿永の内乱において治承4年(1180年)に
源頼朝が平家方に敗退して安房国へ渡っており、市域にも関係する伝承が残されている。
鎌倉時代には
称名寺の寺領があり、古戸(富津)の地から年貢の輸送が行われた。戦国期には
佐貫城を拠点とする
真里谷武田氏や房総へ進出する
里見氏が支配した。永禄10年(1567年)には、隣接する君津市との境界にあたる三船山において里見氏と
北条氏の合戦が行われた(
三船山合戦)。
1973年、
市外局番が0478から0439に変更。
沿革
現在の富津市は1971年に新設合併で誕生した3代目の富津町が市制施行したものであるが、ここでは前身となった旧富津村、旧富津町についても述べる。2代目富津町までは旧
周淮郡内の小さな町にすぎなかったが、3代目富津町が旧
天羽郡全域を町域に収めたことで現在の市域が成立した。
*
1889年(明治22年)
4月1日 -
町村制施行により富津村、川名村、篠部村、新井村が合併し、
周淮郡'''富津村'''が発足。
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1897年(明治30年)4月1日 - 周淮郡が統合されて
君津郡が成立。
* 1897年(明治30年)
12月1日 - 町制を施行し'''
富津市/富津町'''(初代)を新設。
*
1955年(昭和30年)
3月31日 -
青堀町、
飯野村 (千葉県)/飯野村と合併し、改めて'''富津町'''(2代目)を新設。
*
1971年(昭和46年)
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4月25日 -
大佐和町、
天羽町と合併し、改めて'''富津町'''(3代目)を新設。
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9月1日 - 市制を施行し、'''富津市'''となる。
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A
1897年(
明治30年)
4月1日
B 1897年(明治30年)
12月1日
C
1918年(
大正7年)
10月1日
D
1926年(大正15年)
4月10日
E 1926年(大正15年)
4月24日
F
1937年(
昭和12年)4月1日
G
1955年(昭和30年)
3月30日
H 1955年(昭和30年)
3月31日
I 1955年(昭和30年)
4月25日
J
1963年(昭和38年)
10月1日
K
1971年(昭和46年)4月25日
L 1971年(昭和46年)9月1日
人口